臆病な龍 弐
  車が跳ねる度に天蓋の白絹が揺れる。その度に黄金色の夕陽が天蓋の奥まで射し込んで、世継ぎの御子はそれを虫でも払う様に払った。
 
  御子は天蓋の奥に横たわっていた。四頭立ての車はがたがたと絶え間なく揺れて寝台の上と同じように寛げるわけもない。だが、それでも馬上にあるよりはずっと楽だった。何より常に視線に晒されずに済む。
 
  御子の軍列が行く先々で、民はその姿を見ようと群がった。皆、行列の美しさに感嘆し、武人たちの勇壮な姿を褒め称えた。しかし、御子はその騒ぎが嫌で堪らない。
 
  この壮麗な軍列の総大将にふさわしくないことは己が一番よく知っている。天龍とまでは言わなくとも、叔父である現王くらい堂々と振る舞うことができたらと、苛立った。二日目には頭痛がし始め、三日目には馬に乗れなくなった。五日目には朝も起きられなくなり、八日目の今日も出発したのは昼過ぎであった。
 
 「御子。宝洛に着きましたよ」
 
  車の側を歩む蟷螂の声が天蓋の外から聞こえた。その声は明るい。蟷螂は窮屈な宮廷から脱出することが出来て嬉しいらしく、主が体調を崩しているというのにここずっと上機嫌だ。新しい街に入ると好奇心丸出しで周囲を見渡し、歓迎の宴の度にその土地その土地の名物を実に美味そうに食べる。もし、御子のお守りという役目がなければ、街中を探索して歩きたいところだろう。
 
 「そうか」
 
  御子は僅かに体を起こした。途端、吐き気が喉元に上がってきた。
 
 「…蟷螂…」
 「何です?」
 「…吐く」
 「ああ…はいはい」
 
  従者はあくまで呑気だった。彼は少し白絹を避けて、皮の袋を差し入れてきた。こんなことになるのは既に予想済みで、前もって用意していたらしい。
 
 「景色を見ないで閉じこもっているからですよ」
 
  嘔吐する気配を聞きながら従者はのんびりと言う。
 
 「風を入れてはどうです?」
 
  御子は口元を袖口で拭いながら天蓋の白絹をちょっと開けた。心地よい風に御子は目を細める。と同時に周囲の景色を眺めて、ちょっと眉を寄せた。
 
 「えらく汚い街だな」
 「…御子。聞こえますよ」
 
  蟷螂は白絹を纏めて紐で括りながら、そっと諌めた。御子はふかふかの背もたれに体を預け、横目に周囲を眺めた。吐いてしまったせいか、気分はやや落ち着いていた。
 
  宝洛は豊かな街と聞いていた。この国の主な街道が合流する街であり、各地の物産が一度この街に集まるらしい。しかし、整然とした都の街並みしか知らない御子は、この街が栄えているようには思えなかった。道幅は狭く、行列が通ると殆どいっぱいだった。ぽかんと口を開けてこちらを眺める者達は薄汚れた衣を纏い、袖口などは皆ぼろぼろだ。ところ狭しと並んだ店は何処も売り物が溢れだして路上にまではみ出している。山と積まれた果物や野菜。袋から零れた穀物。そこここで騒がしい鳴き声を上げ、檻の中で動き回る小動物。ハエのたかる獣の死体をそこら中に吊るした店もある。溢れるほどの物があることこそが豊かさの象徴であるのに、御子にはそれが乱雑としか映らなかった。
 
  色が濁っている。この街では夕陽の朱が埃のせいか、濁って見える。
 
 「思っていたのと全然違うな」
 「そうですか。とても賑わっているじゃないですか」
 
  蟷螂は寧ろやや興奮したように周囲を見渡していた。
 
 「ほら、御子見てください。あの串焼き美味そうですね。肉だけじゃなくて、いろいろありそうですよ」
 
  御子はちらりとそちらを見て、再び吐き気を思い出した。肉と一緒にどう見ても昆虫のようなものや、見たこともないような生き物が串に刺されて並んでいる。
 
 「お前…あれを食べたいのか?」
 「御子、サソリを食べたことがないんですか?ぱりぱりして面白いですよ。ああ、あっちの飴も色々な色で綺麗ですね。山査子かな?」
 「蟷螂。分かったから…黙れ」
 
  はしゃぐ蟷螂を見て、見物人の少女たちがくすくすと笑っていた。御子が自分たちの方を見たのに気付いてさっと袖に顔を隠す。周囲の人々と比べ、美しく着飾った女たちだ。これまで訪れた街にもいたのだが、酒宴に侍る女たちのようだった。
 
  御子と従者の遣り取りを聞いて、馬に乗って前を行く山鼬がちらりとこちらを振り返った。まるっきり幼子を見る目でちょっと笑ったので、蟷螂もはしゃいだ自分が恥ずかしかったらしく慌てて話を逸らした。
 
 「御子。あそこがきっと今日、泊まる御屋敷ですよ」
 
  蟷螂が小声で御子の視線を促した。大凡、街の中心と思われる場所に大きな屋敷がある。下手をしたら大臣たちと同等か、それ以上に巨大な屋敷だった。
 
 「随分と豪勢だな。王の権威を守るため、民の贅沢は規制した方がいいのではないか?」
 
  実は王城には所々にガタが来ていた。城壁の隅は崩れているし、普段使わない建物は色褪せ、雑草が生えていてもそのままにしてある。御子は毎日決まった場所しか歩かなかったので、あの出立の日までそのことに気づかなかったのだ。
 
 「そんなことしなくても、王城が一番立派ですよ」
 
  本気でそう思っているのか、御子を慮ってそう言うのか。どちらとも取れる言い方で蟷螂は言った。
 
  総大将の宿となるのはその街の領主や名士の屋敷である。嫌味な程鮮やかな赤で塗られた扉の前で、いかにも裕福な商人といった風情の、よく肥えた男が御子の到着を待っていた。
 
 「ようこそいらっしゃいました。世継ぎの御子様」
 
  車が止まると、男は地面に両膝を付いて額づいた。細長い髭が地面に触れる。その傍らに、妻らしき女性や娘らしき少女たちも額づいている。
 
 「拙宅を御子様のお宿として使っていただけるとは光栄の至りでございます。さあ、どうぞお入りください」
 
  蟷螂が車の脇に踏み台を用意し、車を降りる御子に手を貸そうと身構えた。御子は何の感慨もなく立ち上がろうとしたが、ふと思い付いたように言った。
 
 「玄龍。手を貸せ」
 
  さっと緊張が走った。蛇目などは明らかに顔を顰めていた。だが名を呼ばれた当の本人は従者の仕事をやらされることにも戸惑った様子もなく、御子の側まで走り寄ってきた。
 
  御子は車の上から玄龍を見下ろしていた。先日、怪我をした額を布で巻いているが、その他に変わった様子はない。玄龍は琥珀の目で御子を見据え、ただ淡々と手を差し出した。御子はその手に己の手を預け、踏み台をゆっくりと降りた。
 
 「ささ。こちらへ」
 
  屋敷の主が後を引き取る。従者が慌てて後を追いかけた。残された玄龍は去っていく御子の背を、ただ眺めていた。
 
 「…玄龍様」
 
  蛇目が低く、鋭く声をかけた。玄龍はただ静かな顔に困惑を滲ませた。だが、言い訳も反発もすることなく、玄龍は蛇目から目を逸らした。
 
 
 
 
  室内の宴の賑わいが淡い光と共に外の回廊まで漏れていた。先ほどからくすくすと笑ってばかりいる少女たちが二人そろって扉に手をかける。互いに自分が開けようと押し合い圧し合いし、またくすくすと笑うのだ。御子は何と声をかけていいのかも分からず、呆れ顔で少女たちの遣り取りを眺めていた。
 
  それぞれ薄紅色と若草色の衣を身に纏った少女たちは父親に、あわよくば御子の寵愛を受けよと言い含められているのかもしれない。しかし、幼さの残る少女たちははしゃぐばかりで、ただ客をもてなすということすら満足にできなかった。御子の湯浴みを手伝ったときも、着替えのときも半ば遊びながらやっているので周囲の者達が御子が怒り出すのではないかとはらはらするほどだ。きっと今日まで花よ蝶よと育てられ、何かを手伝うなどということはなかったのかもしれない。
 
  二人は転ぶように広間へ入った。同時に賑わいが止み、宴を楽しんでいた男たちが床から一斉に立ち上がる。その物々しさが恐ろしかったらしく、少女たちは急に大人しくなって御子の後ろに下がった。御子が上座の席について片手を挙げると皆が再び座る。そうなって初めて少女たちは安心したように御子の両脇に腰を下ろして、酒を勧め始めた。
 
 「悪いけど、私は酒が好かない」
 
  御子は少女たちが傾ける酒器を退けた。
 
 「それにこんな肉ばかりの食事は食べられないよ。粥か何かもってきてくれないか。クコの実が入っているのがいい」
 
  王宮を出てから初めて湯を浴びることができたせいか、御子の顔色は大分よくなっていた。肉ばかりの食事が食べられないというのは具合が悪いからではなく、幼い頃からの体質なのだ。
 
  少女たちは顔を見合わせ、目をぱちくりとさせた。幾ら世間知らずの少女たちでも、今日の料理が御子の為に贅を尽くして作られたものだということは知っていたし、別の物を所望されたって急には作れないことも知っていた。だが、世継ぎの御子に直々に言われては仕方がない。薄紅の衣の少女が立ち上がり、衣を翻して厨房へと走った。
 
 「…お前は表へ行って、私の従者を手伝ってきておくれ。たぶん一人で難儀しているだろうから」
 
  続いて若草色の方が、広間を出ていく。それを見て、何か粗相でもあったのかと彼女たちの父親が腹を揺らしながら慌てて駆けつけてくる。それを「別に仕事を頼んだだけだ」と御子は面倒臭そうに往なした。
 
  その様を最初から最後まで眺めていた山鼬が御子の隣でおかしそうに笑った。
 
 「どうして追い払っておしまいに?幸いして父親に似ずに、愛らしい御嬢さんたちじゃないですか」
 「五月蠅いばっかりで、何をしゃべっているのかちっとも分からない」
 「おや。女の子は苦手ですか?」
 「ただ相手にしたくないだけだ。王宮にも同じ年頃の女がいるが、あれもやはり実のない話をいつまでも喋っている」
 
  御子の言葉を山鼬はにやにや笑う。これが蟷螂だったら『年の割に初心でいらっしゃるから』とか何とか冷やかすところであろうが、山鼬はその辺り心得ているもので何も言わない。御子は山鼬のそんなところが嫌いだった。
 
 「それにしても、よくお似合いですよ」
 
  そう言う山鼬の声は僅かに笑いを含んでいた。先ほど回廊で顔を合わせた蟷螂は遠慮なく吹き出してくれたものだったが。
 
 「裕福な商家の跡取り息子といったところでしょうかね」
 「しかも、遊び人のな」
 
  旅装束を脱いだ御子は、この屋敷の主が用意した衣に着替えていた。乳白色の衣に金銀の刺繍の入った帯を締め、深い瑠璃色の長衣をゆったりと羽織る。その背には金糸と銀糸それから極彩色の糸で以って、風に流れる柳とそれに遊ぶ燕が絵画のように刺繍されていた。
 
  髪は高く結い上げられ、髷には華奢な女物の簪が揺れている。それもまた柳の意匠の、王宮の姫が御子へ贈った簪だった。柳は旅の餞の品であり、御子の諱・翠雨と通じるところがあるから偶然重なったのであろう。
 
 「風雅に通じる方に見えますとも。実際、御子は書画がお上手だと聞き及んでいますよ」
 「手遊び程度にはな。鎧よりもこちらの方が相応しいだろう?」
 
  御子は悪戯っぽく言いながら、少し遠くに置かれた干し棗の鉢を引き寄せた。
 
  御子。お食事はきちんとなさらないと芙湖の砦までもちませんよ」
 
  御子の目の前に置かれた卓には、先ほど蟷螂が喜んで眺めていた屋台の売り物とは比べものにならないほど、手の込んだ料理が並んでいた。翡翠や紅の色が薄らと透けて見える包子。卵を流し入れた薄黄色の湯には肉やら野菜やらがたっぷりと浮かび、骨付きのままじっくり煮込まれた豚肉はうず高い山を作っていた。豚肉と色とりどりの野菜を使った炒め物もあるし、狐色の揚げ饅頭も熱々で供されている。広間に集う男たちの誰もが喜んで酒を飲む合間に手を伸ばしているというのに、御子はその香りすら嫌だと幾つかの皿を遠ざけた。
 
 「別にもたなくても、お前は構わないだろう」
 「また、そんなことをおっしゃる」
 
  御子は本気で言っているのに、山鼬は冗談にして笑った。
 
 「…ところで、龍の二人はどうした?」
 
  先日、不在を咎められて以来、欠かさず顔を見せていた玄龍の姿が御子の隣になかった。更にお目付け役の蛇目もいない。広間には龍の主なる者も来ているのにである。
 
 「何やら先程、お部屋でお話をしていらっしゃいましたよ」
 「立ち聞きしなかったのか?」
 
  棗を小さく齧りながら御子は意地悪く言った。
 
 「しようとは思いましたが」
 
  山鼬はしれっと言った。
 
 「龍の連中の話を立ち聞きするのは不可能ですよ。彼らは耳がいいんで、すぐに気づかれてしまいます。加えて、連中はそういった行為を酷く嫌いますからね。もし見つかったら蛇目殿に私まで嫌われてしまいます」
 「ふうん。人間離れしているんだな」
 「御存じなかったのですか?彼らは人ではないんですよ」
 
  御子は棗を噛むのを止めて、じっと山鼬の顔を見つめた。山鼬は下がった眦に冗談めかした笑みを浮かべている。
 
 「だって彼らの祖先は天から下された『龍』だと言うではないですか」
 「建国史を私に説こうというのか。初代、黎明王の話だろう?九人の兄たちに国を追われた黎明王が紆水の畔にて『龍』に出会い、共に兄たちを倒したという。龍はやがて人間に化身し、妻を娶り、生まれた子が今の龍の先祖だと」
 
  一気に話した後、ふんと鼻で笑う。
 
 「馬鹿馬鹿しい。作り事だ」
 
  御子は己の国の建国史を一蹴した。
 
 「私の祖先は、兄弟を皆殺しにして王位に就いた。それを正当化したいだけさ」
 「そんなことをおっしゃってよろしいので?今、王家があるのはその物語があってこそじゃないですか」
 「玉座が血塗られていることなんて、みんな承知だろう。その黎明王だって甥の廃王・東雲に殺され、暘谷は黎明王の息子・旦に討たれた。八代目の暘谷王は狂王と呼ばれたというし、私の父王だって…」
 「立ち聞きはしませんでしたが」
 
  やんわりと山鼬は御子の言葉を遮った。王家の不穏な歴史を話すのに、この部屋は耳が多すぎる。龍、狼の者だけではなく、接待のために忙しく働く使用人たちや娼館からかき集められたらしい女たちの中には、こちらを見ないふりをしながら耳を欹てている者もいるに違いない。
 
 「耳に入ってきたことはありますよ」
 「ああ…」
 
  話を逸らされて、御子は一瞬、山鼬が何を言っているのか分からなかった。
 
 「玄龍様が『天龍』の名跡を継ぐとか継がないとか…そういったお話だったように思います。蛇目殿はそれを望んでおられましたが、玄龍様は御兄弟の方が相応しいとおっしゃって」
 
  立ち聞きは出来なかったといいながら、聞くところはしっかり聞いていたようだ。
 
 「ああ。それも妙だと思っていたんだ」
 
  御子は二つ目の棗を手に取った。
 
 「あれは天龍の長子だろう?なのに何故、末子と名乗った?」
 「何でも天龍様は必ず四人の子を持たれるそうですよ。実子養子に関わらず。例え不測の事態が起きても、天龍の座が空席とならないように」
 「四人もいたら却って不穏だろう。今回だってそれで揉めているんだろう?」
 「さて…私には詳しくは分かりませんから、御本人にお尋ねになったらどうです?」
 
  山鼬に促されて見れば、玄龍が使用人に案内されて広間へ入ってくるのが見えた。彼は行き交う使用人や女たちを縫うようにして御子の前まで来ると、跪いた。
 
 「遅れて申し訳ありません」
 「構わないよ。お前には私よりも大事なものがあることは、初日から分かっていることだからね」
 
  御子の痛烈な皮肉に玄龍は戸惑った。しかし、何と言っていいものか分からなかったらしい。再び一礼して、己の席に着く。
 
 「玄龍様。蛇目殿はいかがなされた?」
 
  脇から山鼬が取り成すように言った。
 
 「蛇目は…傷が痛むので失礼させていただきたいと」
 「どうせ、私と顔を合わせるのが嫌なのだろう。あれは私を酷く嫌っているからな。丁度いい。お前に聞くことがあるんだ」
 
  さっと玄龍の隣に浅黄色の衣を着た女が座り、酌をした。玄龍はなみなみと注がれた酒に口は付けたが、半分程残したまま卓の上に戻した。
 
 「お前、天龍の末子だと名乗ったな」
 「はい」
 「だが、お前は長子だろう?違うか?」
 「父の実の子という意味で言えばそうです。兄が二人、姉が一人いますがみな、父の実の子ではありません」
 
  玄龍は意外そうな顔で御子を見返した。出会って間もない上に、親しいとは言い難い世継ぎの御子が自分の家族構成を知っているとは思いもしなかったのだろう。
 
  御子は御子で、自分のこの知識を忌々しく思っていた。天龍と初めて言葉を交わした日ことを苦く思い出すからだ。
 
  子が己に懐いたばかりだから戦に行きたくないと、若い父親は駄々を捏ねていた。年齢からいって、その子が目の前にいる少年に違いない。あの天龍の言動からしても、彼自身の年齢からしてもこの少年が初子であることは間違いなさそうだった。
 
  御子は初めて会ったときからそのことに気づいていた。この少年が天龍の天龍らしからぬ我儘の一因だったのだと。
 
 「天龍の子は常に四人と決められているそうだな」
 
  御子は幼い頃、己の胸の内を占めた幼稚などす黒い感情を苦々しく思い出しながら、何事もないように話を続けた。
 
 「はい。『四龍』と呼ばれます」
 「何故だ?跡継が多くては面倒だろう」
 「昔からの習わしですから…私にもよく分かりません。龍は『武』の一族なので、天龍と跡継が同時に戦死する可能性に備えてのことだと思います」
 「先ほど姉といったな。女でも『武』の家とやらを継げるのか?」
 「はい。今まで女で天龍となった者は三人います」
 「ふうん。面白いな。そんな妙な習わしをもつ者らが他にいるか?」
 「聞いたことはありませんね。我らが狼の一族は長が実の子の中から跡目を選びますからね。それに武門の家系であればこそ、女子が家を継ぐことは普通有り得ないでしょう。その『四龍』の内からは、どうやって『天龍』を継ぐ方を選ぶのです?」
 
  豚肉の骨を皿に放りながら山鼬が問う。山鼬にとって今日の食事は十分に満足できるもののようだ。すぐさま次の肉に手が伸びた。
  玄龍はちょっと困ったような顔をした。もし、この場に彼のお目付けである蛇目がいたならば『これは一族の事なので』と言って、玄龍にその先を語らせなかったであろう。だが、この少年は隠し事も嘘を吐くのも苦手らしくて、ぽつぽつと語り始めた。
 
 「…『四龍』は一族の中からそれぞれ別の理由で選ばれます。青龍には統率力が、朱龍には武の腕が、白龍には英知が特に求められます。そして、その時々に合った力を持つ者を天龍が己の後継者として選ぶのです」
 「玄龍に求められるのは何なのだ?」
 「玄龍は他の三人が相応しくないと断じられた際に、天龍となります。これまで玄龍が天龍となったことは一度もありませんが」
 「ふうん。玄龍は数合わせというわけか」
 
  すぐさま御子はまた皮肉を言った。玄龍は本当に困った顔をして小さく「はあ」と答えた。御子がどうして己に敵意をもっているのか理解できないのであろう。
 
 「それでも、蛇目殿などは玄龍様が天龍を継がれることを望んでおられるのでしょう?」
 
  山鼬の取り成しに玄龍の顔が少し綻んだ。笑うとその静かな顔が急に少年めいて見える。そう。普段の彼は殆ど顔の表情が動かず、顔の造作はその父に似ていても、磊落な印象のあった父親とは纏う雰囲気は全く違っているのだ。
 
 「…それは…」
 
  だが、その笑みも直ぐに苦笑のようなものに変わってしまう。
 
 「蛇目が父を失ったことを自分のせいだと悔いているからです。父が戦死したとき、蛇目は共におりましたから」
 「御自身があの傷では、天龍様をお助けするのは難しかったでしょう」
 「そうなのですが…それでも、蛇目は父がまだ『青龍』であったときの『朱龍』で、ずっと側にあったものですから」
 
  何となく場は重苦しくなった。御子は棗を齧りながら、苛々と言った。
 
 「粥はまだ来ないのか?」
 「聞いてまいりましょう」
 
  山鼬がひょいと立ち上がった。彼に酌をしていた女が慌てて立ち上がろうとしたが、彼は『いいから、いいから』と言って彼女を押しとどめた。
 
 「腰の軽い奴だ。まるで下男のようだな」
 
  また、玄龍は戸惑ったように「はあ」と言った。御子は玄龍を見た。思えばこう間近にその顔を見るのは初めてだった。琥珀色の目と黄金の髪。そして父よりやや端正なその面立ち。間近に見れば彼はそれほど父親に似ていないようにも思えた。武人にしては顔立ちが繊細過ぎるのだ。
 
 「お前は…」
 「お待たせしました」
 
  唐突に広間の扉が勢いよく開いて、御子の従者、蟷螂が姿を見せた。何事かと一同が振り返る。
 
 「…あの馬鹿が…」
 
  御子の罵る声など聞こえないらしく、蟷螂は満面の笑みで皆に告げた。
 
 「皆様。今宵は御子が王宮の蔵からくすね…おっと、頂戴してきた甕を開けてよいとのお許しが出ました。遠慮なく戴きましょう」
 
  どっと歓声が上がった。龍の者も狼の者も他愛なく手を叩く。自分の手柄でもないのに得意げに腰に手を当てる蟷螂の後ろから、男が二人、真っ黒な甕を重そうに持って入ってきた。人間が丸々一人入れそうなほどの大甕だ。封印を切って蓋を開けると、ふわっと濃厚な香りが辺りに漂うほど、香りが強い。
 
 「おやおや。豪勢ですね」
 
  山鼬が珊瑚色の衣を着た少女と共に戻ってきた。粥の入った器を盆に載せた少女と廊下で行き会ったらしい。少女は御子の前の卓に器を置いて一礼すると、若草色の衣の姉妹と共に甕の酒を振る舞いにかかった。それぞれ酌をしていた女たちも立ち上がり、少女たちの手伝いに回る。酒は全ての者の杯になみなみと注がれ、杯を持っていなかった使用人たちにも新たに杯が配られた。
 
  「これはこれは…」
 
  屋敷の主人がへらへらと笑いながら、御子の前に跪くのを御子はまた面倒臭そうに往なした。
 
 「やたらとお荷物が多いと思っておりましたが…そうですか。王宮秘蔵の酒ですか。何という名です?」
 
  よっと元の席に戻って、山鼬が言った。彼も酒は好きらしく、目を輝かせている。
 
 「確か、白露降と言ったかな。蜀黍の酒だそうだ。一杯だけ私も貰おう」
 
  遂には御子も杯を差し出した。少女たちが争う様に杯を満たす。
 
 「玄龍。まず、杯を空けるがいい。そうでないと王宮の酒とその田舎の酒が混ざってしまうぞ」
 
  御子に促され、玄龍は杯を手にすると一気に干した。すぐさま空いた杯に新たな酒が注がれる。それを御子は満足気に見届けると、ゆらりと立ち上がった。
 
  広間はしんと静まりかえった。御子はおもむろに微笑んで、口を開いた。
 
 「まだ、旅は始まったばかりだが私に対する皆の気遣い、有難く思う」
 
  男たちはちょっと顔を見合わせた。苦労知らずで、我儘で、寝込んでばかりいる世継ぎの御子がこんなことを言うとは思いも寄らなかったのだ。だが、その言葉は好意的に受け取られた。
 
 「この酒は細やかな礼だが…しかし、まずはこの一杯を一人の武人に捧げたいと思う」
 
  淡々と御子は何の感情も含まずに、杯を掲げた。
 
 「天龍に」
 「天龍様に」
 
  男たちが唱和する。御子の隣で玄龍が何か言いたげに御子を見ていたが、御子は敢えてそちらを見ようともしなかった。