英国紳士といごっそう
   翌日。サトウはミットフォードと共にブギョー所を訪れ、サイダニとスガノを呼び出した。突然の呼び出しに、二人は実に不機嫌な様子で現れた。
 
  「なんじゃ、急に呼び出して」
 
   挨拶もなしにサイダニは椅子に腰かけた。スガノも同様である。今回は彼らの上役に当たるゴトウが帰国して臨席していないため、幾らか気楽なようだった。この街の最高責任者であるはずのブギョーだけが、おろおろと二人の土佐人の無礼を見ていた。
 
  「先日、貴方は土佐に卑怯者はいないとおっしゃいましたね」
 
   そんな二人に対し、サトウはちょっと目を細めた。
 
  「それがなんじゃ」
  「偽りを口にすることを、この国では卑怯と呼ばないのですか?」
 
   サイダニは何事か察したのか、唇を強く結んだ。
 
  「スガノさん。昨日、貴方は嘘を吐きましたね」
 
   心当たりがあるらしい。彼はサトウの視線を避けて、ちらりとサイダニを見た。サイダニは何も言わず、ただサトウに視線を投げていた。その視線の先でサトウはおもむろに書類鞄を開け、一冊の帳面を取り出す。薄緑色に金銀を散らした表装の、和綴じの帳面だった。
 
  「引田屋の登楼名簿です」
 
   スガノの顔が歪む。奥歯をぎりっと噛んだようだ。構わずサトウは帳面を土佐人に向けて開く。
 
  「事件当日の文月六日。スガノさんの名前があります。事件当夜、貴方は宿舎ではなく、引田屋で飲んでいたのですね」
 
  今朝方、引田屋から引き揚げる際にサトウはこの登楼名簿を回収してきたのだ。何か手がかりになるかもと考えただけで、まさかそこにヨコブエのキャプテンの名が堂々と載っていようとは思いもしなかったのだが。
 
   無論、スガノは返す言葉もない。唇を噛みしめて、じっとサトウを睨んでいた。肩に、腕に、異様に力が入っている。今にも、刀に手をかけて自分の腹を切りそうに見えた。が、その前にサイダニがスガノの肩をぽんと叩いた。
 
  「菅野が嘘を吐いたのは、わしがそうせいと言ったからじゃ」
 
   サイダニはスガノの背を軽く叩きながら続けた。
 
  「お前さんらぁに、無用な詮索をされたくなかったからの。こんことは御奉行様も御存じじゃ」
 
   ちらりとサトウはブギョーへ鋭い視線を投げた。ブギョーはびくっとして少しのけ反った。
 
  「ええ…まあ、その通りです」
  「我々が登楼名簿になど考えが及ぶはずはないと?」
 
   サトウは皮肉に微笑んだ。対してサイダニが恍けた調子で口を挟む。
 
  「英吉利人にこれほど日本の言葉が達者なもんがいるとは思わんかったもんでのう」
  「何故、嘘を言ったんです?」
  「そりゃ、面倒じゃからな。そこにおったちゅうだけで、下手人にされそうじゃったからのう」
 
   平然と男は嘯いた。それは否定できない。サトウはこのことを理由にして、ブギョーにスガノの逮捕を要求しようと考えていたのだ。
 
  「確かにその日、覚兵衛は花月におった。じゃけど、それだけじゃ。お奉行様じゃってそれだけでは罪にはならんと言っちょったじゃろが」
  「…それは…確かに…」
  「待ってください。貴方はどちらの肩をもつのです?」
 
   優柔不断なブギョーに思わずサトウは食って掛かった。一介の元ローニンにさえ強権を発動できないなんて、ブギョーその人がバクフの弱体化の象徴のようだ。
 
  「この男は親藩である紀州から金を騙し取るような男ですよ?」
  「…何の話じゃ?」
 
   すいとサイダニは細い目を更に細めた。
 
  「貴方がたの船が紀州藩の船と衝突して沈没したとき、貴方がたの船は何の積み荷も積んでいなかったそうじゃないですか。それなのに、積み荷の代金を紀州藩に請求したそうですね」
  「そんなこと出来るはずがないじゃろう」
 
   サイダニはちょっと目を見開いたが、慌てている様子はなかった。ただこの件には全く関係のない英吉利人にそんなことを言われるのが不快だ、といった様子である。
 
  「まあ、荷は海の底じゃし、証を立てろと言われても無理じゃがな。どちらにしても、今回のこととは関係のない話じゃ」
  「そうでしょうか。もし、貴方がトクガワの親戚である紀州さえ謀る人間だとするなら、貴方の証言など何一つ信用できません。貴方がたが事実無根だというヨコブエとナンカイが相次いで出港したという話も、丸山では事実として語られていますよ」
  「そう言われてものう…それは根も葉もない噂じゃ。もしかすると、誰かわしらを嫌っちょるもんが言いふらしておるのかもしれんしのう」
 
   サトウの脳裏に長州の三人の顔がちらりと浮かんだ。だが、ここでその話をしてサイダニに有利な材料を与える気などサトウには更々なかった。
 
  「そうおっしゃるなら、こちらの納得いく証拠を見せていただきたい」
  「…証のないことはどうしようもないじゃろ」
 
   沈黙が落ちた。サイダニは憮然として腕を組んでいたが、唐突に大きく息を吐き出して頭に手をやった。
 
  「おんしも頑固じゃのう…これじゃ…にっちもさっちも行かんぜよ」
 
   元々ぼさぼさだった髪をかき回して、男は暫く考え込んだ。が、やがて何か思いついたらしい。びしっと人差し指をサトウの方へ突き立てた。
 
  「一千両。これで、どうじゃ?」
  「…我々を買収するつもりですか?」
 
   サトウは思い切り顔を顰めた。サイダニは慌てて首を振る。
 
  「違う違う。犯人を教えてくれた奴に払うんじゃ。それをわしらが出す」
  「懸賞金という訳ですか」
 
   すいっとサトウは目を細めた。
 
  「馬鹿馬鹿しい。人気取りの芝居でしょう?あの『金をとらずに国を盗る』の唄と同じように」
  「…一千両ぜよ。一千両貰えるんじゃったら、仲間だって売る奴もおるとは思わんか?」
 
   にいっとサイダニは笑った。サトウは再び顔を顰めた。
 
  「そんな小手先のことを言っても…」
 
   サトウが尚も言い募ろうとしたとき、サトウは足を軽く踏まれて口を噤んだ。無論、サトウの足を踏むような人間は一人しかいない。
 
  「…ミットフォード」
 
   ミットフォードは先ほどから、不機嫌な表情で頬杖をついて黙っていた。いつも完璧な身だしなみの彼が、髪も乱れているしタイもしていない。シャツの一番上のボタンも開けたまま。もしここがロンドンだったら、彼は決してそんな恰好のまま外出などしないだろう。
 
  サトウはふうと溜息を吐いた。実はミットフォードは昨晩シュンスケたちと少々羽目を外しすぎて、今朝からずっと二日酔いなのだ。サトウとサイダニの議論など少しも耳に入らず、ただ只管この会談が早く終わることだけを願っているのだろう。
 
  「…いいでしょう。少し時間を差し上げましょう。やれるだけ、やって御覧なさい」
 
   サトウは仕方がないといった体でそう言った。だが、ここで幾ら議論したところで双方の見解は平行線のまま、何の進展もないのも確かだろう。
 
  「20日間。これ以上は待てません」
  「まあ…ええじゃろ」
 
   と言いながらも、サイダニは明らかに不満そうだった。
 
  「あそこは人通りの多い界隈です。目撃者が出てこないとしたら、下手人はやはり何処かに匿われているということになるでしょうね」
 
   サトウは意味ありげな視線をスガノに向けた。スガノは喰らいつくようにサトウの目を見返した。サトウはふっと微笑むと、帽子を手に立ち上がった。
 
  「一千両、役に立つことを願っていますよ。お互いのために」
 
   サトウはブギョーにだけ軽く会釈をして、帽子を被り歩き出した。ミットフォードもゆらりと立ち上がって後を追う。
 
   部屋を出ようとしたその瞬間、サイダニが椅子の背もたれに肘をかけて振り返り様に言った。
 
  「次、会うときは素面で来てもらいたいもんじゃのう。酒臭うて敵わんぜよ」
 
   視線さえもそちらに向けず、ミットフォードはぱたんとフスマを閉めた。数歩先を行っていたサトウは、不意に立ち止まってミットフォードを睨んだ。
 
  「貴方のせいですよ」
  「臭うのは私だけじゃないと思うけどね。君だって相当飲んだだろう?」
 
   答えるミットフォードはちょっと笑った。が、直ぐに口を押えて顔を顰める。
 
  「…気持ち悪…」
  「だから、留守番していてくださいと言ったじゃないですか」
  「君を一人で行かせるのも心配だったんでね。サイダニは君の天敵だからさ」
 
   具合が悪くても口の減らないミットフォードの言い分を、サトウは苦虫を噛み潰したような表情で聞いた。
 
  「ワインやらエールやらいろいろ取り寄せて飲むからですよ。日本のサケは本来、我々には何の害もない飲み物なんですから」
 
   言いながらサトウは踵を返し、ミットフォードの脇をすり抜けて先ほど出たばかりのフスマの前に立った。
 
  「…サトウ?」
 
   サトウは唇に人差し指を寄せ、静かにするようにと合図を送る。そして、じっと室内の物音に耳を欹てた。
 
  「う~参ったぜよ」
 
   サイダニの呻くような声が聞こえてきた。
 
  「…木戸先生も全く酷いお人じゃ」
 
   続いてがたんと席を立つ気配がした。サトウはすいとフスマから身を離し、何事もなかったかのように廊下を歩き始めた。ミットフォードも慌ててその後を追いかけた。
 
 
 
 
   それから数週間、サトウとミットフォードはブギョー所に通い詰めであった。サイダニに20日の猶予は与えたものの、二人の英国人にただ座して待つ気などなかったのである。
 
  まずはブギョー所が二人の来る前に行った聴取の調書に目を通し、長官の提出するために全てを英訳。その上で引田屋関係者に事情聴取を行った。しかし、新たな情報は何も得られなかった。
 
  また、サトウは丸山にある妓楼や茶屋の登楼名簿を調べ上げ、事件当日の欄に名前のある二本差しの者全てに事情聴取することをブギョーに要求した。しかし、ブギョーはのらりくらりと躱すばかり。ここ長崎の最高責任者は間違いなく彼なのだが、彼は諸藩の屋敷に立ち入る権限すらないというのだ。
 
  「この国にまともな政府さえあれば、難しい捜査じゃないと思うんだけどね」
 
   顎に手を当てチェス盤を覗き込みながら、ミットフォードは言った。ブギョーの弱腰ぶりにすっかり辟易して、今日予定していたブギョー所通いを取り止めることにしたのだ。毎日毎日、小うるさくせっついてきた英国人が急に来なくなり、それはそれでブギョーは薄気味悪く思っているに違いない。
 
   突然ぽっかりと空いた午後の時間を、二人は久しぶりにのんびり過ごすことにしていた。
 
  「この国に政府なんてないことは、リチャードソンが殺されたときから分かりきっていることですよ。あのときだって、バクフは薩摩藩に下手人を出させることは出来なかったじゃないですか。かといって連邦国家でもない。さっさと革命でも何でも起こして、話の通る国になって欲しいものです」
 
   ミットフォードの向いに座るサトウは、まどろっこしくてやりきれないと呟きながら手元の手帳から目を移そうとはしなかった。そこには例の芸子から教わった唄が書き留めてある。この一週間、暇さえあればサトウはその手帳を見ていた。今もミットフォードのチェスの相手をしながら、その目線は殆ど手帳に注がれている。
 
  「せめて少しはヒントを聞いてくるべきだったね。暗号なのか言葉遊びなのか、それとも何かの比喩なのか…答えの方向性も分からないんじゃ、謎の解きようもない」
 
   ミットフォードは手を伸ばしかけて、また引っ込めながら言った。
 
  「そんなに複雑なはずはないんです。彼女の口ぶりでは日本人なら聞けばすぐ分かるといった様子だったので、何か日本語や…日本の文化に関わりがあることだとは思うのですが…」
 
  「その唄で、私にも一カ所だけ分かるところがあるよ」
 
   ミットフォードは漸くそろそろと白のナイトを一つ持ち上げた。
 
  「何です?」
 
  「三番のところに『ゆかりの色』という言葉があるだろう?『ゆかり色』というのは『紫色』のことだ」
 
  「知っていますよ。『古今集』の『紫の一本ゆゑに 武蔵野の 草は皆がら あはれとぞ見る』という歌が元になっているんです。愛しい紫草が一本咲いているから、武蔵野の草は全て愛おしく思える。愛しい者に縁(ゆかり)のあるものは全て愛おしく思えるという意味で、そこから紫をゆかり色というのだそうですよ」
 
   ミットフォードはちらりとサトウの方へ目を上げた。
 
  「へぇ、そういう意味なのかい」
 
   そして、適当に相槌を打ちながら慎重にナイトを置く。
 
   サトウの日本文化への傾倒は、他の公使館職員から見れば常軌を逸しているとしか言いようがない。どうやら彼は忙しい通訳官の仕事の傍らで、日本学者にでもなろうとしているようだった。ミットフォードも日本の古い物語などを読み散らしてはいるが、それはあくまで趣味の領域を出ず、サトウの緻密さにはとても及ばなかった。
 
  「何かとても単純なことを見落としているのかもしれないね。君がこんなに考えても分からないなんてさ」
 
   ミットフォードは自分が置いた駒を心配そうに見ていた。サトウは手帳から顔を上げ、さっとチェス盤の上を眺める。そして、ちょっと唇を歪めた。
 
  「今の貴方のようにね」
 
   サトウは黒のビショップを長い指で拾い上げ、迷いなく移動させた。
 
  「チェック・メイト」
  「えっ…ああ…そうか!ちょっと待って…」
  「待ったはなしですよ、ミットフォード。今度、丸山に遊びに行くときは貴方が…」
 
   不意にサトウは口を噤んだ。急に階下が騒がしくなったのだ。何やら押し問答をしているような気配である。二人はドアの方を眺め、じっと耳を澄ました。
 
  「…何でしょう…」
 
   ミットフォードは手を伸ばして、背後の机の上に置かれていた拳銃を引き寄せた。ジョウイ志士たちの襲来に備えて常に拳銃には弾が込めてあり、手が届くところに置いてあるのだ。
 
   暫くして、押し問答の声は聞こえなくなり、代わりにこちらへ歩み寄ってくる足音が聞こえてきた。ノックに返答すると、ドアが開いて領事のフラワーズが姿を見せる。
 
  「…やれやれ。人騒がせなことだ。ミットフォード。その物騒なものは置いてくれないか」
 
   ミットフォードは肩を竦めて、拳銃を内ポケットへ収めた。
 
  「どうしたんです?」
  「君たちにお客さんだ」
 
   ドアを押し開け、フラワーズは背後に立つ男の姿を二人に見せるようにした。二人の英国公使館員は同時に顔を顰める。
 
  「…サイダニ」
  「これは、お騒がせしましたかのう」
 
   ぼさぼさの髪にしわしわのキモノ。日本人にしては長身の男が、不機嫌そうに佇んでいた。
 
 
 
 
  「ちっくと付き合って欲しいんじゃが」
 
   男の表情はいつも通りただ不機嫌そうだった。
 
  「丸山にある置屋じゃ。わしが行っても埒が明かなくてのう」
  「そこに何があると言うのです?」
 
   置屋とは料亭や茶屋に芸子を派遣する、事務所のようなものである。本来、客の行くところではない。気に入りの芸子を呼ぶときでも、あくまで料亭や茶屋を通さなければならないのだ。
 
  「例の噂の出所がその置屋の芸子なんじゃ」
  「どうしてそう言い切れるので?」
  「丸山の者にのう、誰からそん噂を聞いたか一人一人聞いて歩いたんじゃ」
 
   男はそう言って懐からくしゃくしゃの紙を取出し、テーブルの上に広げて見せた。そこにはたくさんの人名が書かれており、それが蜘蛛の巣のように線で繋がれていた。よく見ると、幾つかの女の名に線が集中している。サイダニが言うにはその女たちは皆、同じ置屋に所属する芸子らしかった。
 
  「…知っている名前もありますね」
 
   見覚えのある名を指でサトウは幾つか辿った。サイダニはじっとサトウの表情を伺う様に見つめていた。サトウは顔を上げ、その目線に答えてちょっと頷いた。
 
  「分かりました。お付き合いしましょう。幸い、今日は時間がありますから」
 
   そこで三人は嫌に晴れた長崎の街に繰り出した。既に暦は10月となり、吹き渡る海風に微かな秋の気配があった。傾きかけた日の光に長崎湾はきらきらと輝いていたが、その光に真夏の暴力的な感じはもうない。
 
  「わざわざ置屋なんかに行かなくても、座敷に呼べば済む話じゃないのかい?」
 
   石畳の道をのんびり進みながら、ミットフォードが言った。今日の彼は先日とは打って変わって身ぎれいで、さすが社交界の寵児と呼ばれただけあると思わせるほど隙がない。それでいて嫌味なく自然体なのがさすがと言うべきだろうか。そんな彼へサトウは意地悪く笑いかけた。
 
  「あわよくばまた楽しい一夜を過ごそうという算段ですか?」
  「君だって、別に嫌いじゃないだろう?」
  「それは勿論そうですが、きっとそうしない理由があるのだと思いますよ」
 
   サトウは目を細め、先を行くサイダニの背を眺めた。
 
  「サイダニ」
 
  名を呼ぶと、男は振り返った。
 
  「貴方はもう目星をつけているのでしょう?その置屋のどの芸子が噂を広めたのか」
 
   サイダニは細い目を更に細め、サトウを見返す。
 
  「だから、一対一で話すために座敷に呼ぶのではなく、置屋に直接行くことにした。違いますか?」
  「…本当におんし、可愛げがないのう」
 
   サイダ二の言い様に、若造と軽んじられた気がしてサトウはむっとした。
 
  「私だって、貴方のように不誠実な日本人に会うのは初めてです」
  「それは光栄じゃ。今の時勢では海千山千じゃのうては生き残れん」
 
   きししとサイダニは小さく笑った。
 
  「真っ直ぐな者は早く死ぬからの」
 
   そう言うサイダニの横顔に、サトウは一瞬、酷く暗いものを見た気がした。だが、それは忽ちのうちに薄笑いに紛れ、何の感情を表すものだったのか判然とはしなかった。
 
  「おんしの考えはちっくと外れじゃ。わしは話をしたいんじゃのうて、探し物をしたいんじゃ」
  「…探し物?」
  「芸子が自分でこげな噂を流すとも思えん。誰か裏で糸を引いちょる者がいるはずじゃ。したら、その証になる手紙か何かが部屋にあるじゃろう?そいつを探すんじゃ」
  「そのために我々を連れて行くのですか?」
 
   サトウとミットフォードは揃って嫌な顔をした。サイダニ一人行ったところで、置屋の主人が家探しなどさせてくれるはずもない。下手をしたらブギョー所に訴えられるだろう。だが、異人を連れて行けば話は別だ。異人のやることにはブギョーでさえ口を挟めない。それも一介の水兵などではなく、れっきとした公使館職員なのだから尚更だ。
 
  「そんな押し込み強盗のようなマネはしたくないね」
 
   だが、ブギョー所が何も言えないからと言って、それが英国紳士にとって相応しい所業かと言えば話は別だ。芸子とはいえ、女性の部屋に押しかけてその荷物を漁るだなんて。
 
   だが、サイダニは平気なものだった。
 
  「元々、似たようなもんじゃろうが。それに、御奉行なんぞに頼んじょったら埒が明かんぜよ」
 
   にやりと唇を歪める。ミットフォードは端正な眉を寄せたが、結局何も言えなかった。そこへ例の通り淡々とサトウが口を挟む。
 
  「貴方が目をつけたという芸子は、お元ですか?」
 
   サイダニは眉を寄せ、探るようにサトウの目を見た。サトウが何処でその名を知ったのか、見抜こうとしているかのように見えた。寧ろミットフォードの方が驚いたようにサトウを見つめた。
 
  「君、あのスフィンクス(ギリシア神話。上半身が美女で下半身が獅子。旅人に謎かけをする)女史を疑っていたのかい?」
  「ええ。ちょっと不自然な点があったので」
  「そうかい?全然、気づかなかったな」
  「あの唄ですよ。彼女はあれを子どもから聞いたと言いましたが、あれが子どもの好むような唄だと思いますか?」
  「…どうだろう。子どもの好みなんて、よく分からないよ」
 
   ミットフォードは小さく首を傾げる。
 
  「我々はみな、一度は子ども時代を通ってきているはずですがね。貴方が子どもの頃好きだった唄を思い出せばいいんですよ」
  「唄…か。『Oranges and Lemons』とか?」
 
   そう言って、ミットフォードはその一部を口ずさんだ。
 
  Oranges and lemons, (オレンジとレモン)
  Say the bells of St. Clement's. (セント・クレメントの鐘が鳴る)
 
  You owe me five farthings, (お前には5ファージング貸しているよ)
  Say the bells of St. Martin's. (セント・マーチンの鐘が鳴る)
 
  When will you pay me? (いつ払ってくれるんだい?)
  Say the bells of Old Bailey.(オールド・ベイリーの鐘が鳴る)
 
  「あとは忘れてしまったけど…確か最後に首切り役人が首を刎ねにくるんじゃなかったかな?」
  「貴方がその唄を持ち出すは少し意外でしたね。でも、子どもはそういうちょっと残酷だったりする唄が好きじゃないですか?それから、無意味な繰り返しがあったり、数え歌になっていたり。あの唄はどうもそこには当てはまらない気がするんです」
  「…何の話をしとるんじゃ?」
 
   サイダニが顔を顰めて口を挟んだ。何時の間にやら英国人二人が母国語で話し合い始めたので、置いてきぼりになっていたらしい。
 
  「これは失礼。我々は宴席でお元から唄を教えて貰ったんですよ」
 
   そう言って、サトウはサイダニに手帳に書き留めた例の唄を見せた。サイダニは一目見て眉を寄せた。
 
  「ああ…そん唄も噂と一緒に丸山中で大流行りじゃ」
  「どんな気分です?貴方が以前やったことと同じことですが」
  「…嫌なことを言うのう」
  「お元はその唄を子どもから聞いたと言っていたんです。貴方の唄と違って、子どもが唄うものとしては、ちょっとつまらない唄だと思いませんか?」
  「う~ん。子どもは大人のマネするもんじゃからのう。まあ、聞いてみるんが一番じゃろ。おい、そこんチビ。ちっくと聞きたいんじゃが」
 
   サイダニは道の端で遊んでいた子どもたちに声をかけた。子どもたちは一斉に顔を上げて彼らを振り返ったが、一時に駆けだした。大きい子は小さい子を抱え、自分で走れる者は自分の足で、一目散に駆けていく。
 
  「おっおい。ちっくと待て…」
 
   あれよあれよと言う間に小さな姿は街並みに消えていき、見えなくなった。サイダニは手を中途半端に伸ばしたまま、固まっている。少なからず傷ついたようだ。
 
  「一体、土佐者はこの街で何をしているんです?あんなに子どもに嫌われるなんて」
  「違うじゃろ、今のは。おんしらのせいじゃろが」
  「私はこの街に来て、今まであんな扱いを受けたことはありませんけれど」
  「わしだって初めてじゃ」
  「ちょっと…いいかい?」
 
   不意にミットフォードが二人の間を通り抜けた。見れば子どもが一人転んで、倒れたまま泣いている。ミットフォードは歩み寄ると、その子を抱き起こした。気づかず不毛な口論をしていた二人の大人は気まずそうに顔を見合わせた。
 
  「…大丈夫かい?」
 
   それは、七八歳の少女だった。ミットフォードは石畳に膝をついて彼女のキモノについた砂埃を払ってやり、両膝の傷を改めた。石畳で転んだせいだろう。両膝とも抉れたように傷ついて、血が筋となって流れ落ちている。ミットフォードはハンカチを二つに裂いて、その傷口を縛ってやった。
 
  「…わしが家まで送ってくるぜよ」
 
   サイダニがミットフォードの背後から覗いたが、ミットフォードは少女の髪を撫でながらそれを制した。
 
  「いや。私が行ってくるよ。君たちは先に行っててくれ」
  「おんしが行ったって…話にならんじゃろ」
  「この街の人は異人に慣れてるから、きちんと話せば問題ないさ。それに君が行ってしまったら我々は無駄に待ちぼうけだ。それよりアーネストと一緒に行って、先に話を進めていてもらっていた方が効率的だよ」
 
   サイダニはミットフォードと少女とを交互に見た。少女はまだちょっとぐすぐすしていたものの、殆ど泣き止んでいて、しかもミットフォードの手をしっかりと握りしめていた。
 
   サトウはすいとミットフォードに歩み寄った。
 
  「ミットフォード」
  「大丈夫。直ぐに追い着く。それより君…」
 
  言いながらミットフォードはサイダニの視界を遮るようにして立ち、上着の内ポケットを探った。
 
  「また、丸腰で出て来たろう?」
 
   ミットフォードは無造作に拳銃をサトウに押し付けた。サトウは慌てて両手でそれを受け取る。
 
  「すみません。慌てて出たので」
  「もし、あの男が1インチでも刀を抜いたら…」
  「間髪入れず、撃ち殺せ」
 
   サトウは受け取った物を内ポケットへと滑り込ませた。
 
  「そう。その通りだ」
 
   ミットフォードはにっと笑った。それから、ミットフォードはサイダニに目的地を確認し、少女の手を引いて歩き出した。少女に何やら語りかけながら歩く後ろ姿を眺めながら、サイダニがぽりぽりと頭を掻いている。何だか毒気を抜かれたようだった。
 
  「すごいのう。さっきは姿を見ただけで逃げ出したっちゅうのに、もう笑っちょる。何者なんじゃ、あん人は」
  「彼は本物のgentlemanなんですよ」
 
   本人がいたら絶対に言わない台詞をサトウは何処か誇らしげに口にした。
 
  「…じぇんとる?」
  「貴方たちの言う『サムライ』と少し似ているかもしれません」
 
   二人は再び歩き出した。サイダニはさっきよりも幾らか態度を和らげ、話し出した。
 
  「あん唄な…」
  「待ってください。私は今、お元とちょっとした賭けをしているんです。その唄の解釈はしないでいただけますか?」
  「…何しちょるんじゃ…おんしら…」
 
   サイダニは呆れたように顔を顰めた。それからまた、髪を撫でながらぼそぼそと言う。
 
  「実を言うと…わしもちゃんとは意味が分からんのじゃ。後藤様は無礼千万、土佐を侮辱しちょると怒っておられたが、わしには何が無礼なのかさっぱりでの」
 
   土佐の元ローニンだというサイダニと家老のゴトウ。同じ土佐者だが、二人の差異は問うまでもない。決定的な身分の差だ。そして、この国では往々にして身分の差が教養の差にも直結する。それは無論、イギリスとて同じことだが。
 
   サトウはふむと考え込んだ。土佐を侮辱とは…確かに土佐の船の名を出して臆病者と詰っているのだから無礼は無礼だろう。だが、それはサイダニも承知しているはず。どこかに土佐の船ではなく、土佐藩そのものを示すものがあるのだろうか。
 
  「横笛上手な 臆病者が とっとと往ぬる 夜明け前…」
 
  サトウが呟くように唄った。隣で、サイダニは飛び切り嫌な顔をして見せた。
 
   やがて目的の置屋に着くと、サイダニは玄関先に座り込んで、主人と押し問答を始めた。それはそうだろう。突然、芸子の部屋を見せろと言われても簡単に応と言うはずもない。だが、サトウが英国公使館の職員で、例の水兵殺しの件を調査に来たのだと言うと渋々ながらも承知した。
 
  「うちの芸子が水兵殺しになんて関係あるはずがないじゃないですか」
 
   ぶちぶちと文句を言いながら、店主は二階の芸子たちが暮らす部屋へと二人を案内した。
 
  「丁度、みんな出払っていますから。どうぞ、ごゆっくり」
 
   五、六人が同じ部屋に暮らしているらしい。部屋の隅に布団が積み重ねられ、その隣に柳行李が一つ。どうやらそれが一人分の持ち物のようだった。普段華やかに宴を盛り上げる彼女たちも、私生活は随分と質素だった。
 
  「ちょっと待ってください」
 
   そそくさと立ち去ろうとする店の主人にサトウは声をかけた。
 
  「お元の荷物はどれです?」
 
   主人は顔を顰めたが、一つの柳行李を指差して立ち去った。サトウは軽く腕組みをすると、サイダニを促した。
 
  「では、どうぞ」
  「おんしはやらんのか?」
  「私は女性の荷物を勝手に漁るようなマネはできませんよ」
  「なんじゃ、そりゃ。わしだってやりたくはないぜよ」
 
   言いながらサイダニはお元の柳行李を開け、中から文箱を探し出した。
 
  「さすがにモテるのう。恋文だらけじゃ」
 
   文箱から取り出した手紙の束を手に、サイダニは床に胡坐をかいた。
 
   サイダニは次から次へと手紙を広げていく。見れば殆どが無骨な男の字で書かれた恋文だ。情熱だけが先走り、内容が追い着かぬ文句。遊び慣れた男の流麗な文字。これらの手紙をあの氷のような芸子はどんな顔で読んだのだろうか。それとも、読まないままにこの文箱へ収めていたのだろうか。
 
  「面白い印ですね」
 
   サトウは一枚の手紙に手を伸ばした。文末に押された花の形の朱印を珍しく思ったのだ。だが、その手紙を手に取る前に、サイダニが声を上げた。
 
  「…サトウさん」
 
   サイダニは手にした紙をサトウへ差し出した。
 
  「ほれ。あん唄の草稿じゃ」
 
   サトウは目を細めてサイダニの手にある手紙を眺めた。確かに彼の言う通り、少し黄味がかった和紙に、例の歌の文句がそのまま書かれている。サトウはよく見ようと手を伸ばした。が、サイダニはその手を引っ込めた。
 
  「サイダニ」
  「これはわしが奉行所にもっていく。それでええじゃろ」
 
   手早く手紙を折りたたみ、懐に納めてしまう。己の藩の無実を証明するかもしれない証拠を手に入れたというのに、サイダニの顔には喜びの色が少しもなかった。寧ろ何か切迫しているような色だ。
 
  「その前に一度よく見せてください」
  「これはおんしには渡せん」
 
   ワザとらしいほどに鋭く、サイダニは言った。
 
  「これはわしらの無実の証じゃ。ここで台無しにされては元も子もないでのう」
  「私がそれを破り捨てるとでも言うのですか?」
 
   さすがにむっとしてサトウはサイダニを詰った。だが、サイダニも譲らない。
 
  「おまんらはわしらを下手人に仕立てたいんじゃろう?」
  「違います。我々はただ…」
 
   不意に長官の言葉が頭を過った。犯人は土佐。そう言い切った長官の意図は何処にあるのだろうか。だが、それをサイダニに伝える必要はなく、サトウはもう一度口を開き直した。
 
  「我々は同胞を殺した犯人を捕らえたいだけです」
  「取りあえず、土佐じゃないちゅうことは分かったじゃろが」
  「いいえ。今、分かっているのは例の唄の出所がお元だということだけです。それであの噂が嘘だということにはなりません。まずはお元を聴取しなくてはならないでしょう」
  「それは、奉行所がやるじゃろ」
  「ブギョーに任せていたのでは埒が明かないと言ったのは貴方でしょう?」
  「おまんもしつこいのう…」
 
   サイダニはふと、サトウに向き直った。
 
  「悪いことは言わんきに。ええ加減、土佐から手を引いた方がええ。まず、第一に無駄骨じゃ。第二に…」
 
   サイダニはあくまで淡々としていた。だが、その目が次第に凄みを増していく。思わず、サトウは身構えた。
 
  「土佐者は知っちょると思うが、血気盛んな者が多くてのう。これ以上、無意味な詮索を続けられるのを我慢ならんと思っておる者もおる」
 
   彼はじっとサトウの目を見据えた。獲物に見入る獅子のように。
 
  「ならばいっそ、本当に異人を斬り殺そうちゅう者も出てくる。そん後、直ぐ奉行所に行って、土佐者は逃げも隠れもせんとの証を立てるんじゃ」
 
  がちりとサイダニの刀が鳴った。彼が刀に腕をかけたのだ。日本人としては長身のサイダニの間合いをサトウは目で測った。彼が刀を抜いたら、次の瞬間、その刃は自分に突き刺さっているに違いない。サトウは一瞬、己の首がこのタタミの床の上にごろりと転がる様を想像した。
 
  「…私は拳銃を持っています」
 
   サトウは内ポケットに手を伸ばした。彼が1インチでも刀を抜いたら、引き金を引け。友の言い交した言葉が脳裏に浮かぶ。
 
  「それなら、わしも持っちょるよ」
 
   ふっとサイダニは破顔して、両手を軽く掲げてみせた。やり合う気はないのだということを見せたつもりらしい。
 
  「やるのはわしじゃあない。わしには他にやることがあるからのう」
  「では、お仲間にやらせるつもりですか?」
 
   サトウは慎重に問うた。その慎重さですらおかしいというように、サイダニはまた薄ら笑った。
 
  「いいや。土佐の誰かが勝手にやるんじゃ。わしの仲間は…そげなアホウはせん」
  「そうでしょうか。貴方は前回の事件が起きたとき、この長崎にはいなかった」
 
   サイダニは眉を寄せた。
 
  「バジリスクで土佐に入港したとき、私はシューエイリーン号の船上に貴方を見かけました。ということは、貴方は我々と同じ日に、同じシューエイリーン号に乗ってここ長崎に着いたのでしょう。結局のところ、貴方だって我々と同じように、事件当時の状況は知らないんです。そのとき貴方のお仲間が何を考え、何をしていたのかだって把握できないのではないですか?」
 
   サイダニの顔が歪む。痛いところを突かれたらしい。サトウはシュンスケの渋い顔を思い出した。外国人居留地の安全を要求したとき、すぐに応と言えなかったシュンスケ。同じようにサイダニも自分の仲間が絶対に異人を傷つけないと断言はできないのだ。
 
   だが、サイダニは全く別の問いを寄越した。
 
  「…何じゃその、しゅーなんちゃらっちゅうのは?」
 
   サトウはちょっと呆れて答えた。
 
  「知らないはずはないでしょう。貴方の藩のオンボロ船ですよ」
  「もしかして、『夕顔』のことかのう?」
  「ユウガオ?貴方がたの国では船まで変名を使うのですか?」
  「おんしらが昔の名前で呼んじょるだけじゃろ。外国から買った船にはみんな日本の名前を付けちょるんじゃ。そのしゅーなんちゃらには『夕顔』。『横笛』は『横笛』じゃが、ナンカイは…」
 
   サイダニが言いかけた時、階段を駆け上がる騒々しい足音が響いた。
 
  「サイダニさん、サイダニさん!」
  「ほたえなや、陸奥。なんじゃ?」
 
   階段を駆け上がってきた若いサムライは、ぜえぜえと息を切らしていた。そして、ちらりとサトウの方を見たが、サイダニが構わないという素振りをしたので口を開いた。
 
  「…大変です。さっき…土佐の者が…その…異人を斬りつけたと…」
 
   言葉の意味を理解するのにちょっと間があった。だが、理解した瞬間、サトウはさあっと血が下がっていくのを感じた。どうして、自分の身の危険のことだけを考えていたのだろう。己の身を守る武器を惜しげもなく貸してくれた友は、今や反対に無防備だというのに。
 
  サトウはムツと呼ばれた若者の肩を、指が食い込むほど思い切り掴んだ。
 
  「斬られたのは何処の国の者です!?名前は!?」
 
   若いサムライはサトウの剣幕に驚いて目を見張りながらも、何とか答えた。
 
  「確か…一人は亜米利加人で…もう一人は英吉利…」
 
   サトウはサムライを突き放して、階段を駆け下りた。路上に飛び出した途端、現場を聞かなかったことを思い出したが、兎に角、来た道を駆けて戻らずにはいられなかった。